何かしら書くやつ

25歳の会社員が細々始めたブログです。

【初回】「好き」と「嫌い」の関係

おはようございます。こんにちは。こんばんは。初めまして。よしおかです。

 

 

【ブログを始めるきっかけ】

本題に入る前にどうしてブログを始めようと思ったか、についてちょっと書きます。

僕は今まで「日常のどうでもいいこと」はSNSに、「他人に見せない自分の中の悩みや心境」は紙の日記に、それぞれ書いてきました。

ただ最近ある人のブログをよく読むようになり、「大声で主張したい訳ではない、だけど自分の中で確かに思い巡らせた考え」を人に読んでもらいたい、もっと言えば賛同なり批判なりを聞いてみたい、と思うに至りました。

 (僕は個人的に「どんな考え方、主義主張であれ、言葉で発せられたものは何かしらの価値がある」と思っているので「意味わからん」的な反応でも欲しい。)

 多分この時点で相当読みづらい文章な気もしますが、そのうちに改善されていくでしょう。

 

 

ここから本題です。

(最初に断っておくと、どうでもいいことをすごい面倒くさく書いてます。そういう考え方をするのが好きなんです。)

 

 

【音楽体験から見た「好き」と「嫌い」】

結構昔から「好き」と「嫌い」の関係について考えることがよくありました。

具体的には「1人の人間の中の好きと嫌いのエネルギーの大きさは等しい」ということです。

(あ、科学的根拠は無いです。)

これは音楽鑑賞について考えたことがきっかけでした。

僕が音楽を自発的に聴き始めたのは小学生高学年の頃で、CDを買ったり、借りてきてMDに録音して聴いていました。

そしてCDやMDで音楽を聴く時、僕の場合必ず一曲も飛ばさずに聴いていました。

これはコンポのリモコンの調子が悪かったから、ポータブルプレイヤーのリモコンが使いにくかったからとか色々理由があるはずですが、とにかく曲を飛ばす意識がなかった。

だから大好きな一曲を聴くためにはアルバム全曲を聴く必要がありました。

 

何だかまどろっこしいので端的にこの話の結論を言えば(最初に言え)「好き嫌いは単純に比較の問題であって、嫌いなものがない人は好きなものもありえない」ということです。

 

音楽の話に戻ると、自分は1つのアルバムの中にも「ピンとくる曲」と「全く心震えない曲」が明確に存在することを覚えていきました。それが積み重なって「嫌い」の基準が自分の中で形成されていくにつれて、より強く「好き」な音楽を認識できるようになったように思います。

 

それで今の配信形式、切り売りの音楽鑑賞の形を考えた時、果たしてそれで音楽を聴き始めた人は「本当に好きな音楽」に辿り着けるのかと疑問に思ったわけです。

 

 

流行りの曲を聞こうと思えばその曲だけ何回でも簡単に聞ける。

一方で嫌いな曲に触れる機会は格段に減るように思います。つまんね、と思えば聴かずにいることができる。

僕が経験したように嫌いな音楽もある程度聴き続ける経験なしで、自分が何を嫌いなのか、好きなのかが分かるものなのか…。それでも好き嫌いは分かるかもしれませんが、その基準は「分かりやすい音楽かどうか」という基準とどれほど離れたものなのでしょう…。

 なんだか口調がホラーチック。

 

 

そんな感じで「嫌いなものが明確になることで反対に好きなものが明確になる」、という事が言いたかったのです。

 

 

 

【ネット記事から見る情報との付き合い方】

それに関連して(僕の中では明確に関連してる)、1つの示唆を与えてくれたネット記事がありまして。

内容としては「ネット全盛期になって、関心の偏りが加速してる」的な感じだったと思います。(ざっくり)

要点としては、

ネットの記事を読むかどうかは、その記事の見出しに興味のある単語が含まれてるかどうかで決まって、例えば「音楽」、「ファッション」にアンテナを張ってる典型的若者(なんとなくイメージして欲しいです。他意はない。)はそのタイミングでは「宗教」、「政治」の記事リンク先には行き得ない、ということです。

ネットの進化で情報は溢れているようでいて、触れる情報の幅は今までのどのメディアよりも狭くなりうる。

 

僕自身、「知らないこと」と「興味が無いこと」「嫌いなこと」を混同してしまいそうになることがよくあって、その度に自分ですごく怖くなります。

何も知らないくせに、分かった気になってしまいそうなことに対する恐怖です。

 

 

【まとめ】

だらだら書いてますが、音楽の話とネット記事の話の共通する僕の思いは「自分のものさしを持った上で世界に向き合いたい」ということです。

(これに辿り着くために1800文字かかりました。)

 

どんなもの、考え方でも自分の中でしっかり吟味したい。

その上で好き、嫌いの判断を自分で下したいのです。

今よりもっと大好きな人やモノに囲まれて生きていきたいからこそ、今よりもっと大嫌いな人やモノを自分の目で見つけたい。

 

ある意味、「嫌い」という感覚を大切にしていきたいというお話でした。

 

 

 

何事も終わりは唐突にやってくるものですね。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございましたm(__)m

 起承転結の欠落、支離滅裂なところは今後改善していきたいです。

 

また何か書くと思うので、よかったら是非。